やんごとなき事情で、父である私だけ平日は家を空けているのですが、金曜の夜に家に戻ってみるといきなり『へっこきよめどん』(絵: 長谷川 義史、文: 富安 陽子、出版社: 小学館)の絵本に迎え入れられました。図書館で借りたらしいのですが、珍しい方向性の絵本を借りたものだな、と。成長して何か気持ちの変化があったのかな、と。
などと思っていると、我が子monmonは「長くて読めない」そうな。なんじゃそら。

しかして、この絵本は昔話がベースになっております。まんま、屁をこく嫁さんの話ですけど……。まあ、その昔にこんな話を考えた奇特な人がいたんです。もっとも屁関連なので、ちゃんと調査してみるとこの手の逸話は全世界、アフリカからグリーンランド、ブータンに至るまで、どこにでも存在するのかもしれない。しないかもしれない。

それでも、屁のないところに臭いは立ちません。この話が生まれるためには、元となるような何らかの強烈なエピソードが実際あったのではないでしょうか。あるいは屁のこけない抑圧された社会への手厳しい風刺なのでしょうか。
結局、monmonそっちのけで私がこの絵本を堪能させていただきました。

閑話休題。所用で少し遠くまで車で来たので、久々に新しい公園探索をしました。いろんなすべり台が設置してあるところでして、ちょっとロングなローラーすべり台もあったのですが、monmonのご執心はぐるぐるすべり台。確かに今までにはなかったタイプです。
滑ってみると不思議なもので、せいぜい3回転くらいしかしていないはずなのに、中ではものすごく長い時間グルグル回っている感覚があります。これは思うに、普通のすべり台だとカーブの他に直線があってすぐに安定的なポジションに戻れるのですが、このぐるぐるすべり台の場合にはカーブしかないので延々と不安定な状態が続く、そのためかなと推察します。
グルグルだけにしたら、何だか物凄く長くなる。これはそう、DNAのらせんそのものを意味しています。膨大な情報を詰め込むために編み出されたDNAのらせん構造が如何に優れたシステムなのか、今更ながら実体験した気がします。
極小のDNAから紡ぎだされた我が肉体が、また別の巨大なDNA(すべり台)の中に吸い込まれる。そう、このすべり台は、子どもたちに生命の神秘というもの確かに伝えるべく創出されたものなのです。きっと。多分。恐らく。

屁とすべり台。特に相関性はないけれど、もしも屁を推進力にできる人がいたら、すべり台はもっとすごい遊びになるのかもしれません。

DNA-slider
ぐるぐるすべり台