ナスと聞けばしなやかだが、ナスビと聞けば何だか抜けたように感じるのは私だけだろうか。宇宙開発はNASAであるべきで、NASABIだったら全然締まらないかもしれない。だが、ビが付こうか付かまいが、子供たちはナスを食べてはくれない。大体ぬるっとした薄味ってのは、子供にウケが悪い気がする。まあ、味噌の乗った焼きナスにしば漬けと、私も好きなナス料理と言えばどちらかというとそういう濃い味の後付けしたもの。人造人間セルのごとく、吸収してなんぼの存在。そう思えば子供らにいささか嫌われても仕方ないか。いやもう、食べてくれ。
そして時折、次女のrinrinが「ナスが一杯足に付いたぁ」と言ってくる。そんな怪奇現象が自宅で起こってもらっても相当困る。何のことはない、「砂が足に付いた」だけだ。2文字だけなのに逆に覚えるのは珍しい。どんな耳しとんねん。

砂を嫌う女あればはまる女もあり。長女monmonは磁石をもって砂鉄探しに勤しんでいる。もうすっかり砂の女。貧弱な付録の棒磁石でやっているので、ネオジウム磁石でも買ってやろうかと思うくらいだ。惜しいかな、砂金は磁石に付かないのでまぐれで価値ある物を何か掘り当てるという期待もできず。まあ、大人になってもどうも磁力は不思議に感じるから、面白いのはわかるけど。
砂といえばトンネルではなかろうか。昔、砂場で何かと作っていたのを覚えている。泥団子も作ったが、昨今もてはやされる磨いたピカピカ泥団子への思い入れは特になかった。人のこだわりは様々だなとつくづく思う。でもトンネルは結構普遍で皆やりたがるのではなかろうか。トンネルに限らず、洞窟や鍾乳洞が好きな人も多い。そんな場所で暮らしていた頃のDNAが、まだ人間の体内でくすぶっているような気がしてならない。

monmonのDNAは、また彼女を宇宙へと誘っている。宇宙をじっくり観たいと言うので、アプリで宇宙の旅。Star Chartというアプリは、太陽系の惑星に飛んでいけるのでなかなか皆楽しめた。惜しむらくはもっと格好よく移動して欲しいし、惑星に降り立ちたいし、銀河系を飛び回りたい。創作でもいいから。VRであったりしないだろうか。
望遠鏡で実際に観ようと言う行動にも彼女は出た。望遠鏡工作キット『コルキット スピカ』と安いカメラの三脚で。しかし、名も無き星を一つ観るのにも必死(私が)。やはり望遠鏡には架台が大切だ。こうして、赤道儀式架台→バルブ撮影→カメラ女子となっていきそうな予感もする。どうなんだろう、ちょっと似たような人を知っているためいささか悩ましい。まあ、それも人生か。馬頭星雲に魅入られようが馬頭観音に入れ込もうが、それが人生。

最後に、rinrinの最近のお気に入り絵本は「やさいさん(作: ツペラ ツペラ(tupera tupera)、出版社: 学研)」「いただきまーす!(絵: 宮尾 怜衣、出版社: フレーベル館)」「とけいの3をとりもどせ(作・絵: うえだ しげこ、出版社: フレーベル館)」。時計の話でやっと食べ物から離れたかと思ったら、おやつの時間が奪われた話だった。ちっ、やはり食い物か……。ナスの絵本でも探そうかしらん。

興味が湧くといきなり走り出すDNAもある