昔、夜通しで漫画朗読を観に行った。大人が大人のために漫画を激しく表現して朗読するものだ。それがどうしたと言う人もいるだろうけど、好きな人にはとても好きな趣向。絵で伝える媒体なのに、ドラマがグイグイ入ってくる。まあ、中身知ってるというのが大きいんだが……。
絵本読み聞かせはそうもいかない。幾ら巧みに読み聞かせてもねえ、やはり絵本は絵が命で。想像力でどなえかせえ、と言える相手でもないし。
それ故、寝かしつけの題材となると絵本は向くようで向かない。ここはやはり昔話やおとぎ話なのだ。しかし、自慢じゃないが、何とか太郎以外、まともに最後まで話せる物語はほとんど私にはない。わらしべ長者の金持ちになる手順がどうしても覚えられないくらいだ。グリム童話なんか一つも思い出せない。お菓子の家に行って、食べまくってほんでどうなった?

そんな大人の事情を尻目に、我が家の長女monmonはここのところ、寝かしつけのお話要求が激しい。確かに読解力ついてきたから、ちゃんと話が聞けるようになりはったんで。
仕方がないのでこちらは奥の手を出すしかない。神話でいく。日本神話(面白そうなとこだけ)に始まり、ギリシャ神話、北欧神話へ。しかしすぐにストックがなくなる。愛憎物多くて話しにくいのもあるし、かなり記憶が朧気なのもある。ケルトとか、アステカ文明辺りの神話、もっと真剣に覚えとけば良かったと思うが、時すでに横山やすし。

それで次は千夜一夜物語へ飛ぶ。が、しかし、それはさらに荒城の月の如くに朧気もいいとこで、シンドバッドの冒険が何とか少しだけ(子供の頃、シンドバッドの冒険をカセットテープで聴いていたような気がするが夢のまた夢だったろうか)。アリババは英語本で少し前に読んではいたが、少し盛り上がりに欠ける話だったように思う。

そしてネタは尽きた。

だが、思い起こせばまだストーリーをしっかり覚えている物語が残っていた。落語だ。最初はやはり動物の出てくる話の方が食い付きが良いだろうと思い、『池田の猪買い』『堺飛脚』『鷺とり』をやってみたら、monmonには割とウケがいい。大胆に『ぜんざい公社』もやってみたのだが、役所の業務の理不尽さを味わったことのない彼女には今一つ……まあ、そらそうだわな。
そこで満を持して『桃太郎』を語り聞かせた。いや、落語のね。話としては、子の寝かしつけに本物の『桃太郎』を語った父親が逆にその話の奥深さを子供に得得と語り返される、というものだ。そうすると、父と子の二人の話を独りで演じるのが落語で、その話をさらにこの父が子に語っているわけで、そんでもって今ここで独りで私が文章にしている。将来、これを私と子が読み返すとすると、そこには二人がいる。つまり何と言うか、時空的な2-1-2-1-2フォーメーションが成立するような気がする。ゲーデルも興味をそそられそうな自己言及がありそうでなさそうだが、別にそれで何かが起こるわけもない。『(落語の)桃太郎』を話し終わった後で、もしも我が子が「お父さん、それは何にも『桃太郎』の話をわかってないで」とか言い出したら、さらに複雑なことになって面白かったのだが。

なお、その後も落語語りは続いている。ちゅうか他のネタ仕入れる暇がない。『初天神』『皿屋敷』『ガマの油売り』『饅頭怖い』……。絵本の流れで『じごくのそうべえ(作・絵:田島 征彦、
出版社:童心社)』として話しはしたがいつか改めて『地獄八景亡者戯』として話したいような気も。いや、くだらないところ多すぎる上に、寝かしつけには長すぎる……。何にしても面白おかしく話すというのは実に難しい。

最後にちなむのだが、次女rinrinは毎回山程の絵本を図書館で借りてくるが、読み聞かせに『4歳からのキッチン(写真:小林 キユウ、写真・文:渡辺 ゆき、出版社:岩崎書店)』とかをもってくる。文量多すぎて読み聞かせられん! 家にあった『きょうのおやつは(作:わたなべ ちなつ、出版社:福音館書店)』なんかは、理屈が理解できたせいか、一人で楽しんでいる。結局、おやつやけどな……。

濡れるのが嫌いな浦島太郎