日常生活で『刑事』というものは滅多に見ない。見たくもないが。唯一、昔にとある署内の刑事たちを隙間から覗いた時は、夢も希望もなくなる風体だった記憶がある。そこの刑事課だけが特殊であったことを祈りたい。さて、『けいじ』でも『啓示』であるならたまに見る気がする。まあ、何でも啓示だと思い込んでしまえば啓示になるんだが。

これはどうだか何とも言えないが、先日二重虹を見ることができた。生まれて初めて。しかも、根元が恐ろしくくっきり。これもまた初めてな気がする。家族みんなで見れたから、やっぱりここは何かの啓示だと言うことにしておきたい。世間の話によると、虹の麓には宝物が眠っているらしい。宝って何だろう。今の私にとっての宝となると、株券とか当選宝くじか? いや、株券は電子化されてるし、宝くじは引換期限が……。ああ、何て夢のない。そういうこっちゃないんだろう。まあ、家族が宝なんだから、虹の麓になくてもいい。ちゅうか、自分自身の麓に宝物はありまっせ、という暗喩なんではなかろうか。株券なんて言ってちゃいかんのだ。

虹というものを、昔の人は何だと思ったんだろうか。ちょっと虹は昔の日本の風景には似合いにくい気がする。江戸の町に虹、安土城に虹、法隆寺に虹。やはり少し違和感がありはしないか。そう言えば江戸というと、奉行所の襖によくある模様は、ペントミノと言う名の旅館に置いてありそうなパズルに似たパターンになっている。あ、旅館には『箱入り娘』のパズルも置いてあったりするが、これがまた解くのに無茶苦茶イライラして……閑話休題。あのパターンは『紗綾形』と呼ばれるものだが、こう規則性の微妙さに違和感を覚えるのは私だけなのだろうか。ちなみに好きな文様は『青海波』だ。しかしこれを思い出す度、北斗有情猛翔破とか邪王炎殺黒龍波とかを想起するのは、年齢のせいかもしれないし、大人に成り切れないせいかもしれない。なんのこっちゃ。

さて、今年も容易に外に出れない夏休みだった。プールすら開いていないし、公園で遊ぶにはもはや罰ゲーム的日射だ。と思えば、大雨続きで。そういうわけで我が子らはあいも変わらず図書館から絵本を借りてきていた……はずなのだが、家に落ちているのはどこかから引っ張り出してきた、キンダーブックの『さんねんねたろう』とか『さるかにかっせん』とか、『しあわせのおうじ(作: オスカー・ワイルド、文: こわせ たまみ、絵: 井江 栄、出版社:フレーベル館)』。なかなかな古典を楽しんでおられる。もっとも長女monmonの感想は「結局、何で3年寝てたん?」だったが。個人的には、事を成しては3年寝るような日暮巡査のような人だと思っていたのだが、どうやら勘違いらしい。のっけに3年目がきて、その後は割とずっと起きてはった。なお、初めてのオスカー・ワイルド作品体験は、次女rinrinにはあまり響かなかったようだ。私の方は今回初めて読んで面白かったのだが、現実にあったら悪趣味な像やよねとか、悪党が像ごと持ち去るよねとか、邪な想像ばかり。ああ、実に夢がない。虹の麓の株券並み。

円の中心が違う気がする……
ドカンと根元