鬼は巡る。何かを象徴するように時代時代に現れる。鬼とは不定形ゆえに、あらゆる姿でい出る。令和も鬼の盛んな時代になりそうだが、やはり鬼と言えば平安時代だ。京の荘厳と静粛と闇が、その片隅でひっそりと異形の鬼を生み出す。
だけれども。私にとっては、平安京は鬼の出る場所ではなく、エイリアンの出る場所だ。『平安京エイリアン』。かつては駄菓子屋の軒先に置いてあったゲーム機だったのかもしれないが、私が初めて出会ったのはゲームボーイのソフトだった。この極めて単純なゲームが魅力的なのは、戦略性の面白さもあるが、装飾のない簡素なブロックで区切られた迷路があたかも土塀の並ぶ不気味な路地を彷彿とさせるからだと思う。しかし、エイリアンを穴に落として埋めるという、現代の戦闘技術では想像もつかないような攻撃手法が凄い。別空間に閉じ込めるのではない、それは真に墓穴なのだ。それで負けるエイリアンも凄い。実に地に足の着いたエイリアンだ。

と、かように平安京エイリアンを思い出させるのは、昨今の鬼事情もあるのだが、子どもたちのゲームへのはまり様のせいでもある。得体の知れない動画ばかり観てるよりかは能動的かと思い、少しやらせたのだが、うーん。まあ、スマホでできるゲームは簡単だし、それに幾つも幾つも無料でできる。高価なカセットをやっとのこさ買って帰ってきたものの、たった10分でクリアし、虚しさと絶望感に打ちひしがれた昭和の数々の惨劇など、きっと思いもよらないのだろう。それだけはいい時代だが、なかなか止めてくれないのが悩みだ。個人的には、VR機器買って楽しみたいのに……。

ゲームから離れれば、最近、絵本から遠ざかり気味の長女monmonは、相変わらず謎にせまる本ばかり読んでいる。「給食のひみつ」「お好み焼のひみつ」「ガムのひみつ」とか。謎のサイズがかなり渋めに現実味帯びているのが少々気にはなるが、謎は謎である。探究心は大事だ。そして、次女rinrinは絵本よりも積み木に凝っている。ロングタワーに挑むのが実に危なかっしいが、ストーンヘンジも作る。前世のヘンジ作りの記憶が覚醒したのかと密かに期待したのだが、どうやらパン屋さんとかスーパーとかの乱立だったらしい。残念だ。
あまりに絵本から離れているので、rinrin相手に父親特選の読み聞かせを敢行。「こわいはなし」「わらしべちょうじゃ」「まっくらトンネル」「わゴムはどのくらいのびるかしら?」と4冊だ。わらしべは単に私が話を思い出したかっただけだが、みかんから布へのジャンプアップがいささか強引なように思えた。もう少し丁寧にここを掘り起こしたバージョンがあるのかしら? が、肝心のrinrinはわらしべだけがヒットせず。まあ、3歳にはそうだろうね……。

年末は、さらに絵本読み聞かせの鬼となることにしよう。さらに私好みの渋いやつを。後は、もう少し夢のある謎と冒険に満ちたやつも見つけてもらわねば。

記憶だけを頼りにした、エイリアンと落とし穴