ジェネレーションギャップという言葉そのものが死語のような感があるが、個人的にはジェネレーションギャップと言えば寿司屋をおいて他にないと思う。メジャーな提供システムが180度変わってしまい、もはや異業種のようだ。言うなれば、鬼ヶ島で生まれた鬼太郎が悲哀と共に物語を紡いでいくような、パラダイムそのものの転換。ちょっと違うような気もする。子供にとっては、寿司屋は回転するものだ。まるでメリーゴーランドのように必然的に。もし、メリーゴーランドが回転しなかったら、もうそれはゴール前の競走馬のハナ差争いにしか見えない。それで写真撮影サービスがあったら、大人としては喜ぶかもしれないが……。とにかくまあ、回るものを子供は何故かこよなく愛している。それ故、茶碗蒸しとギョクとかっぱ巻きとうどんとアイス(あるいはポテトフライも)しかまだ頼みやしないのに、回転寿司に行くのを楽しみにしている。そして、父親が仕事で遅くなっても、夕食の回転寿司にはあっさりと置いて行かれるわけだ。

回転と言えば円だが、円と言えばドーナツだ。我が家の次女rinrinはドーナツ屋さんに行くことをいつも夢見ているが、実際にはドーナツは甘すぎてあまり食べられないらしい。ケーキは問題ないのによくわからん。食い意地だけが妙な形で発達している気がする。そんな彼女が先日もってきたのは『くいしんぼうさぎ(作・絵:せな けいこ、出版社:ポプラ社)』『おとうふちゃん(作・絵:わたなべ あや、出版社:学研)』。期待を裏切らない。が、一方で『ファンファンおばけやしき(作・絵:はんだ みちこ、出版社:フレーベル館)』ももってきた。お、食べ物じゃない。毛色が違って嬉しい。怖いものが嫌いなくせに。しかし、3時間おきにこれ読んでは止めてほしい。さすがにそれほどは味わえるものではない。

長女monmonはいろんな本を読み始めているが、まだこれといった好みは見つけられていない気がする。私のように若い頃に西村京太郎の時刻表トリックにはまるようなことは避けて欲しいが……(ちなみに、その前は人体消失とか人体発火とか、実際に起こったと言われる不可思議現象の本にはまっていた)。彼女は割と謎解きが好きな気がするので、Nintendo DSのレイトン教授シリーズをまだもっていたのでやりたいか訊いたのだが、意外と乗り気でなかった。やや個人的に凹んでいる。まあ、漢字も多いし、結構頭使うのでまだ無理かもしれないが……。こちらは怖いものも随分と楽しめるようになってきて、怖い話の漫画やお化け屋敷にトライしている。もっと小さい頃、お化け屋敷から号泣で出てきたのが懐かしい。まあ、あれは人が化けていたので通常よりかなり怖いが。

もう一つ、円と言えば、丸い。丸いと言えば、打ち上げ花火。現況の影響により、ひっそりと打ち上げられたのだけれど、寒い季節に観る花火は何かが違う感がある。火というより星のようだ。それでも、花火をじっと見ていると、何か少し、ワクワクする明日が待っているような、そんな気がする。