何になりたいかなんて、今更訊かれたってわからない。今の仕事にはなるべくしてなったように思うが、一つ道が逸れれば何をしていたかというと想像もつかない。それでも無理矢理昔何になりたかったのかを思い出そうとするが、うまくできない。偉人にはなりたかったが、何の偉い人なのかは決まっていなかったような気がする。大抵、偉人ってのは死んでからそう呼ばれるものだし。
強いて言うなら画家と役者と作家に憧れていた。芸術家というか、そんな方向。がしかし、それらは昔から貧乏の代名詞と決まっている。一握りの成功者以外、蕀の道だ。そしてそれらは他人が評価して初めて価値がある。自分の力だけではどうにもならないところがあるのがもどかしい。貧乏どんとこいの根性が今一つ定まっていないと本気で道には進めない。だが、もし我が子が画家とか役者とか作家とかになりたいと言い出したら、諸手を挙げて「頑張れ。金がなくても何とでもなる」と答えるだろう。実に勝手な話だ。

そんな大人の述懐はさておき。家族でキッザニアに行った。長女monmonがそろそろお仕事というのをわかり始めてきたから、職業体験だ。普段から店員やら何やらになってままごとをしているので、結構楽しめるのではないかと。
土曜日に行くとはそういうことなのね、とまず思った。聞いてはいたが、人がやたらといる。子ども中心なので混んでいても圧迫感はないのだが、多い。人気の職業なんて開場後にさっさと予約が埋まってしまう。早いもん勝ちでやりたいことが取られてしまうとは、ある意味でリアルだ。というか、職業選択の自由からしたら現実世界より厳しいかもしれん。
初めて行ったので要領がわからず、いろんなところで手間取ったり迷ったりしたが、落ち着いてみてみると確かになかなかよくできている。世界観がちゃんとしているし、設備も極力本物になっている。真面目に仕事に取り組ませる雰囲気ができている。
その場にいると、キッザニアは子どもの国、大人は傍観者だというのを切実に感じる。各職業のスタッフは至極真剣に子どもに仕事を教え、傍観者たる我々は見えてすらいないようだ。わかってはいる、わかってはいるが寂しい。まるで野球場で自分の周りが全員相手チームのファンである時のような寂莫感。あるいはスーパーで自分だけが割引券をもってない気分と言おうか。

数々の予約に阻まれてしまったとはいえ、我が子monmonが選んだ職業は、パン屋さんと医者(麻酔医)と大工(リフォーム)。全然方向性が見えん……。が、将来的にいざやろうと思ってもなかなかできない職業をうまくチョイスしたような気もする。個人的にはヘルメットとゴーグル姿がクールだった。
少ない数だったけど、それなりには満足できた様子。この経験からすると他の仕事もやってみたりするためにまた行くだろう。が、こちらにも結構資金力もいる施設だ。仕事をしに行くのに、こちらは金欠になる。何だか割が合わない。

協賛しているからだろうけどビッグネームの会社ばかりが並んでいたし、~屋とか~家とか~士という職業が多かったように思う。だから、できることならいろんな裏方や伝統技術の職人、中小や零細企業にもスポットを当てて欲しいなと思う。こんな仕事があるんだ、こんな方法を使ってるんだと大人もワクワクするような(だがしかし傍観者)。簡単には目に見えないそんな仕事の人たちが、本当のところこの社会の屋台骨なんだし。子どもに知ってもらいたい職業はその辺でもある。

Anesthetist
麻酔医もそれなりに良し