ある夏の日、セミの鳴き声に囲まれた。それはとても凄まじい音量だった。そうすると、あまりの音の大きさに、やがて耳からブーンと違う音が聞こえてくるようになった。何だろう、鼓膜の振動が追いつかなくなったのか、はたまた外耳道で定在波が生じたのか。何にせよ、生まれて初めての経験だった。
してみると、何十匹ものセミの声が見事に同調しているわけで、逆に言えば脱個性。そんなんで、じゃあセミのメスはどうやってオスを選べるのか? 声量の大きさ? いや、セミ界ではちゃんと微妙な違いがあるのかもしれない。美声、濁声、節回し、三大テノール……。セミの一匹一匹の鳴き声が異なるのかどうか、真面目に調べている人はいないのだろうか。もっとも、兄弟、従兄弟は鳴き方が同一かもしれないので、セミのDNA鑑定も同時に必要な気もするが。
セミに対して、私はテクノロジーで対抗したくなる。ノイズ・キャンセリングしたくなる。それも、イヤホンの内側でノイズを打ち消すという守りではなくて、ノイズ・キャンセリング板なるものをどんと立て掛けて、セミに向かって逆位相音波を放ち、空間そのものを静寂化してやりたいのだ。攻めたい。

“閑さや板にしみ入る蝉の声” byノイ・キャン

みたいな。セミの繁殖にとっては営業妨害以外の何物でもないだろうけれど。

幾らセミがわめこうとも、我が子らはさっぱりセミには興味を抱かない。女の子ということもあるだろうけど、フォルム的にエモくはないようだ。まあ、宇宙人顔だし。そういえば、最近セミを採る子供も見かけはしない。自分の少年時代は、わざわざセミ採り専用のロング竿&スモール輪っかの虫取り網を母親に作ってもらったりしたもんだが。確かに、採ってどうするんだと言われれば何も答えられないが。
我が子らの無関心を他所に、セミの絵本は多し。やはり身近な虫ではあるんだわな。「セミくん いよいよこんやです(作: 工藤 ノリコ、出版社: 教育画劇)」は読み聞かせて楽しかった記憶があるなぁ。

長女monmonは相変わらず『人サバ(人狼サバイバル)』に『サト8(ネオ里見八犬伝 サトミちゃんちの8男子)』だが、次女rinrinはここにきて『おとうさんはパンやさん(作: 平田 昌広、絵: 鈴木 まもる、出版社: 佼成出版社)』を借りてきた。まあ、食べ物からは離れないが……。ちょっとパンやさん、頑張り過ぎ。心痛い。
私としては、絵本作家として「馬場のぼる」を今推したいがね。絵が、絵が何だか懐かしいから。

完全に記憶だけで描いた、セミの顔