国語辞典とつるむらさき、そしてπ
この夏、小さな庭畑につるむらさきを植えた。別に誰に望まれたわけでもなく、夏に食べられる野菜があればいいかな、と。簡単そうだったし。
しかし。育った。えぐいくらい。特に何もしてないのに。意外に茎も葉も柔らかめのやつなのに、大して虫に食べられることもなく雨が降ろうと日照りがきつかろうと巨大化し続ける。食べる速度が追いつかない。ヤツが畑を席巻していく様を見てると、何だか久方ぶりにビオランテを思い出した。世界の終末のごとく、通天閣を覆っているつるむらさきの姿が思わず脳裏に浮かぶ。が、かのビオランテを思い出したところで、古過ぎて我が子らに共感してはもらえなさそうだし、今さら国語辞典にも載っちゃあいない。
長女monmonが少々国語にはまっているようで、いろいろと訊いてくる。いわく「やいのやいのって何?」と。確かに今その言葉を使ったけれども、小学生に説明できるかどうかは別問題だ。私が苦悩しつつ放った言葉は、
「ごちゃごちゃのもうちょっとええ感じ」
「いけてる感じで言うとやんややんや」
「てんやわんやっちゅうのもある。全然意味ちゃうけど」
自分でも何言ってるのかよく分からない。もし、これで理解できたら言語学者を目指した方がいいかもしれない。さすがに回答に呆れたのか、国語辞典を愛用するようになった。逆にインターネットより調べやすいらしい。
次に出てきたのが「πって何?」である。これはかなり難しい。ギリシャ文字だと答えて、それが納得する回答だろうか? 円周の長さを決めるこの宇宙における絶対的定数、だろうか? でも、何故そんな数かと言われても困る。円周を直径で割ったらそんなダラダラと続く数値になるのだ。割り切れない。気に入らないっちゃあ、私だって気に入らない。答えに窮していると、彼女は無言で去っていった。
そして国語辞典読みながら「雀百まで踊り忘れず」知ってるか、と。全く知らん。意味は大体分かる。三つ子の魂百までと同じだ。こちらなら随分馴染みがある。が、よく考えたらこっちだって自分では一度も積極的に使ったことはない。死ぬまでにいつか使うことにしよう、どこかの立ち呑み屋で。
一方で次女rinrinは絵本を楽しんでいる。私の好きな『ぼくのおふろ(作・絵: 鈴木 のりたけ、出版社: PHP研究所)』が落ちていたし。しかし、別に読んでないと言う。なんやねん……。最近『まいごのたまご』も蔵書に加わった(株主優待だけど)。うーん、恐竜が優しさに溢れ過ぎている。いいけども。遥かな未来のいつか、人類も化石になって掘り起こされた時、きっと我々も絵本になるんだろう。凶暴極まりない、ビオランテみたいな描かれ方しているかもしれないけれど。
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