しばらく書けなかった。ちょいと自分のことで精神的安定性を欠き、書く気力がとびきり失せてしまっていたから。今でも完全復活ではないが、一つ筆先を走らせてやろうというところまでは戻ってきた。
今はまだ実感できる余裕が足りないけれど、もし遥か遠いところから俯瞰するようにこの瞬間を眺めれば、余りにもたくさんの人たちの助けと応援に囲まれ、また家族との幸せな日々に溢れているのだろう。いつか、それを心底からうち震えるように感じられる日がくればな、と願っている。

さて、というのも何だか、相変わらずうちの子たち(長女monmonと次女rinrin)は公園へと行きたがる。遊具の魔力は実に凄まじい。中でも長女monmonのお気に入りはロープにぶら下がって滑空する、所謂ターザン遊具だ。正式名称はわからん。しかし、彼女とその友人らもこの間「ターザンしに行こう」と言った。無論、ターザンという言葉の真の意味すら、彼女らはよく知らないままに。
とは言っても、私もターザンの本編をちゃんと観たことはない。どちらかというと、『ターちゃん』の方が馴染みのある世代だ。そう、ターちゃん……昨今、社会現象とも成り、多くの女性にも支持されるような漫画が連載されていた雑誌に、それもその昔載っていた。それらの漫画の余りにも激しいテイストの違いに、三十年程の間に時空間がちょっとどこかで歪んでしまったのではないかと感じるのは、果たして自分だけなのだろうか。

兎にも角にも屋外の遊びは実によろしいのだが、屋内の遊びとなるといささか頭を悩ませる。アマゾンプライムビデオとYouTubeとスマホアプリの妖力は恐ろしい。まだ能動的な活動ではないかと引っ張り出してきた懐かしのニンテンドーDSは(最新機器だとドハマりしそうなので、敢えて世間と相容れないレガシーな携帯ゲーム機)、逆に拍車をかけてしまったようで。アナログな遊びをさらになかなかしてくれなくなった。
しかして、絵本の神力が失われたわけではない。特に次女rinrinは食べ物の絵本ならワクワクだ。しぜんキンダーブックの『いちご』や『チョコレート』は読み聞かせをとことん楽しんでいる。またある時は『とけいの3をとりもどせ』をもってくる。おやつの話だ。それだって読み聞かせはどんとこいだ。
だが『からすのパンやさん』はいけない。いや、素晴らしい本だ。話は面白い。絵も素敵だ。しかし、しかしだ、文章がやたら多い。読み疲れるわ、結局最後まで行き着かないわ……。これをもってくると少々言い訳して逃げ気味になる。

そして、父たる私は、電子図書館で借りた絵本を英語で独り聴いている。が、ちょいちょい難しい単語出てくるし、これ。凹むわ……。

幻の靴下王子(ターザンではない)。文章とは残念ながら無関係