絵本は星くずのようなものだと思われるのであります。まさに無数とも言えるほどの数が眼前に存在し、各々が様々な瞬き方をしています。夏の大三角のごとくひと際強く大きく輝く、それは誰もが知っている、名作中の名作に当たるでしょう。ですが、2等星、3等星の明るさしかないものでも、それらは全天に確かな存在を示し、それらはまた壮大な物語を構成する星座のひとかけらかもしれません。例え孤高の星であっても、それは宇宙の彼方から膨大な光を放っています。

夏休みということで、図書館から親子合わせて20冊くらいを借りてきたようでして、ちらっと見てみましたがどれも初めて見るようなものばかり。それなりな数の絵本はもう頭の中にあるはずですが、全く、絵本の世界の広大さときたら。ちょっと星座を人よりたくさん覚えて、いざ上を見たら、天の川が雄大に横切る、星座もへったくれもない満天の星空があったような、そんな気持ち。

そんなたくさんの絵本を読むような読まないような態度で、だらだらと夏休みは過ぎていきます。結局そうで、冊数も貸出期間も十分にあると、逆に読む気が失せてしまう。いつでも読める、どれからでも読めるという気持ちが、どれもいつまでも読めなくしてしまいます。働きアリは3割くらいしかちゃんと働いていないと聞いたような。が、ともすれば余裕をかまし過ぎて10割読まないことがある。この人間の習性、何とかならないものかと思います。

そういうわけで多少それらの絵本を置いといて、星空の方を観に旅行に出かけました。小さな天文台があったり、宿泊する部屋に望遠鏡が付いていたりするような宿泊施設です。昔から気になっていた場所ですが、今回は今後の参考にもという形で泊まりに行きました。予約が直前過ぎて、望遠鏡も何にも付いていない、ただのバンガローになってしまいましたが……。それでもプラネタリウムも天文観測会も温泉もあるので、それでもいいのです。星さえ出ればいいのです。

しかし、今年は実に台風の多い年でした。直撃している日ではなかったものの、明らかにそのあおりを受けているような一面の雲。雲間さえ滅多になさそうでした。仕方がないので、とにかくプラネタリウムを楽しむ気だったのですが、(他の人は知りませんが)私はビールの酔いと適度な暗さと響き渡る解説の声で、睡魔との格闘しか覚えておりません。
奇跡的に一部でも晴れることを期待して、その後の天文観測会へ。望遠鏡は土星を確実に追尾していましたが(はず)、厚い雲が立ちはだかり……。その前に「お酒飲んでたら焦点合いません。天文観測にアルコールは絶対禁物です」と言われたので、子どもはさておき、私にはどっちみち見えなかったかもしれないですが。その割には爽やかにビール売ってるんですよ……。

天文観測会には20人ほども集まっていましたが、不思議ですね、望遠鏡はさておき、ほんのわずかな雲間から何かわからない星が一つ見えただけで大騒ぎ。ほとんどパン食の給食の中で、月に一度だけ出てくるカレーライスに異常に喜びを覚えるような、そんな飢餓からの解放感と言いますか。星は見えねども、人間の滑稽な部分は見れました。
なお、うちの長女monmonは「何で星観れへんの? なんで? なんで?」と結構な無理難題を叫んでくれて辟易しましたが、まあ満天の星空を見せられなかったのは私としても非常に無念な限りで、こうなったら来年は南の島に飛ぶか、といささか本気で考えている毎日です。
仕事、休ませてや……。

ten-mon-dai
ええ、雲を観に来たんです