その鼠は抑圧された世界からの解放と自由を求めて、やおら立ち上がり叫んだのだ。『ヂユウ』と。

そんなことを昔書いた人がいたようないなかったような。兎にも角にもこの国では割とねずみは迷惑がられていなかったような気がする。左甚五郎だって楽しげにねずみを彫るし(落語の中でだけかもしれないが)、鼠小僧もいたし(盗人だけど)、干支の一番だってねずみだ(別に一番だからえらいわけでもないし、絵本的にはずっこい奴だった)。昔話でねずみは大抵いい奴だ。まあ、かの国のねずみだって、彼が主宰する例の国(ランド)はいつだって大人気だ。しかし、正直もはやあれはねずみではないと思っている。ねずみだとはっきり認識している子供が果たして幾らいるだろうか。

ねずみは人間社会の中でどんどんとそのねずみらしさ、ねずみ感を無くしている気がする。正統たるねずみ感あるいはねずみ魂を、『チュウニズム』と勝手に呼ぶとしよう。私が思うに、チュウニズムを見失ったもう一つの存在、それはハムスターだ。まず鳴かない。いや、ねずみだってチュウと鳴いたのを今まで聞いたことはないが。さらに毛色がグレーではない。防御力の弱そうな明るめの色をしている。暗い色じゃ売れないからかもしれないが……。大体、このとっとこ野郎の名前からして、ねずみで括られることをあっさりと拒否しているような気がする。まあ、人生でハムスターに関わることはあるまいから別に好きにしてくれたらいいのだけれど。

そうしたら、ある日ハムスターが家にやってきた。やってきたたって、あからさまにペットショップで買ってきたんだが。パールホワイト種で見た目から名前が『だいふく』だそうだ。ただ、ねずみの本懐を忘れないらしく、ケージだろうと指だろうと元気よく齧っている。これがチュウニズムというやつか。しかし、手乗りをさせたい我が家族はもどかしさを感じずにはいられない。

ケージを囲う/家族の背中を/離れて眺め/漂い消える/微かなジェラシー

それはさておき、絵本としては、図書館で借りてきた『シンドバッド さいごの航海(作・絵:ルドミラ・ゼーマン、訳:脇 明子、出版社:岩波書店)』と『うみの100かいだてのいえ(作:いわい としお、出版社: 偕成社)』。絵がいささか可愛くないせいか、シンドバッドはあんまり次女rinrinには刺さらなかった。まあ、シンドバッドのやる冒険は激しいんだが何かまったりとしている。それがアラビア的……なのか。100かいだての方はその点申し分なく面白い。が、彼女は読み飛ばしが激しく、部屋ごとを繋いでいる梯子やら階段やらの描写が全然意味なし。寂しい。

長女monmonは絵本から離れ、YouTubeで全力でハムスターの飼い方を学んでいる。情報の吸収力は凄まじいが、何でもかんでもYouTubeからっていうのが、なんだかな。なんだかなぁ。

キリリッ