長女monmonの足が何か長い。遺伝子は全く関係なく。日本人が皆足が伸びつつあるような気がしている。食べ物だ、椅子のせいだと言う人がいるかもしれないが、目から入ってくる情報のせいだと思う。特にアニメや漫画の足の伸びが著しい。走り幅跳びの世界記録が絶対おかしくなるくらい。そういうものを度々見ていると、それが頭の中で当然となり、成長因子にも影響すると思う。鳥に羽根が生えた時のように、無意識に足を進化させている。しかし、これ以上やり過ぎると火星人(タコのはっちゃん)みたいにならないかといささか心配だ。案外、宇宙人の形態は単なる彼らの思い込み進化の末路なのかもしれない。

足がどんどん伸びてしまいそうな長時間の動画視聴的遊戯から離れて、折り紙に勤しんでくれることもある。実に微笑ましい。が、折り紙にはカオスが潜んでいる。別に、鶴を折ろうとしたらヤンバルクイナができた、とかいう退廃的カオスさではない。最初のほんの少しの折りズレが後々の出来に絶望的な影響を与えるという意味だ。そうすると、なかなか(彼女ら的に)ヒステリックな結末を迎えたりするので難しい。ゾーン的な集中力、丁寧な仕事、何とか帳尻を合わせる無理矢理な修正力を鍛える点ではとても有効な遊戯なのだが……。こう書くと、児童よりも成果の出せない中年サラリーマンにこそ相応しい修行にも思える。

歌と踊りならもっと健全だ。次女rinrinはABCの歌を幼稚園で唄うのか、結構気に入っている。出だしはいいさ。が、“LMNOP”のところは速すぎて聞き取れないんだろう(私だって聞き取れない)、“エロエロビー”と自信あり気にのたまう。悪魔でも呼び出しそうな感じだ。リスニング力をかなり伸ばさないと先々私みたいに困ることになる。悩ましい。

さらに、私を悩ませるのは家庭の笑いのセンスだ。monmonが「面白いことを言って」と要求する。それ自体も結構キツいのだが、結果がもっとキツい。ダジャレの争いになり、

monmon「ひな祭りは暇な釣り」
tantan「猿が去る」「犬がいぬ」「太古の太鼓」
私「エビの血液型はAB型」「動物園の今日の朝飯、ご飯だった? いや、パンダ」

面白い、の基本概念の再定義(家族会議)が必要に思う。こんなカオスのまま成長するとちょっとヤバい。

さて、絵本だ。「島ひきおにとケンムン(作: 山下 明生、絵: 梶山 俊夫、出版社: 偕成社)」を次女に読み聞かせてみたが、ちょっと寂しい話だったからな、食い付きは今ひとつ……。長女は何故か「うんたろさん うんちどろぼうの ひみつ(作: 山脇 恭、絵: はた こうしろう、出版社:フレーベル館)」を机に立てている。大好きで読んでいるわけではなさそうだが……。健全な読み聞かせライフを復活させるべく、現在画策中。

家族、というか未知との遭遇にも見える