『おさるのジョージ』というアニメ番組がある。人間じゃない視点と発想と、恐るべき住人たちの包容力。ささくれだった大人の気持ちでは少し追いつけない部分がある。子供にはささるらしい。
言葉をたくさん覚え始めた次女rinrinの最近の流行り台詞は、
「お父さんはお猿です」
だ。一体、ジョージから何を学んどるんだ……。あるいは、ジョージとは何も関係ないのかもしれないけれど。ちなみに、『スポンジ・ボブ』の番組からは何も伝わってこないし、何も学んでいない。それは大体わかる。

一方の長女はなぞなぞにはまる。しかし、買ったなぞなぞの本は小学生向けなので『頭の体操』をひたすら読んで育った私としては、少々物足らないように思う。というか、例えば「0をいくつも足している野菜は?」→「レタス」とか、何だろう、自分の思うなぞなぞとはちょっと違う。文章としてエレガンスさがないというか。その不自然さがあるゆえに、本に書かれているテーマ(野菜)を先に読んでいたり挿絵を頭に入れていたら、答えもすぐに閃いたりするのだが、いきなり口頭でなぞなぞを出されても全然答えられない。だから益々イラッとするので、ちょっとなぞなぞの相手を避けている。申し訳ない。
『なぞなぞのすきな女の子(作:松岡 享子、絵:大社 玲子、出版社:学研)』という絵本も家にあった。上述した経緯のために、ビビットななぞなぞに飢えていた私としても興味があったが、いささか微妙な内容だった。そういう方面のストーリーじゃなかった。
同時に、おしごとの本というのも買っていて、よく読んでいる。いろんな仕事に興味をもつ年頃らしい。基本、士とか師とか者とかのわかりやすい職業を記載していることが多い。お父さんはどんな仕事かと訊かれたりもするが、しがないサラリーマンのやっている実に歯車的な細か〜い業務の内容はなかなか説明できていない。まあ、ならなくていいのなら、サラリーマンとかOLなんてならなくていいと個人的には思う。やりたいことにすぐ近づけるのに、やりたいことが一番やりにくいものだから。
なぞなぞが効いているのだろうか、探偵のようなものになりたいという。冒険もしたいという。昭和の子供の夢のような話だが、大いなる謎に立ち向かいたい気持ちは頼もしい。なり方はよく知らないけれど。

そうすると、「お父さんはお猿です」。それは進化してないという意味ではなかろうか。英語の勉強なんて自己満足だろ?と鋭いところをつかれているような。ちょっと最近心に沁みる。成長の止まったサラリーマン、それがお前のやりたかった仕事か?と。もう一遍猿からやり直せ、と。もしもこの先べらぼうに運命が変わって、成功の哲学を振り返るみたいなシチュエーションがあったとしたら、人生を変えた言葉として、こう言うかもしれない。
「お父さんはお猿です」
とりあえずこれからの座右の銘にしてみよう。

バナナ……