春休みは、私に言わせれば何か異質だ。夏休みは当然メインディッシュ。そして、冬休みはクリスマスに始まり、大晦日への怒涛の高まり、華やかなるもゆったりとした正月行事がある。しかして、春休みにはない。エイプリルフールが狂乱の催しならば別だが、子供が盛り上がりきるイベントでもない。お花見は例年なら春休みも終わった頃に盛りだ。だから、何となく始まり何となく終わるのが春休み。だが、学年が上がったり人生のステップその先に進んだり……春休み中には何も起こらないくせに、実は自分の環境は劇的に変わっていたりするのだ。まるで宇宙船に乗っていて、春眠が如きコールドスリープから目覚めたら、別の惑星に来ていたみたいな。
そんな春休みが前代未聞のロングロング。世界が変わり過ぎないか、ちょっと心配なくらい。

いささか田舎に住んでいる利点としては、人が少ないことと土地があることだ。それは人混みに行けないこんなご時世にとても役に立つ。私だったらプラモデル(特に峠の茶屋とか)をひたすら作るとか電子工作するなど、デジタルとテレビに拘泥しなくても楽しむものは幾らもある。体を鍛えまくるとかでもいい。しかし、まだ低学年とか未就学児だと没頭できる多様でアナログな趣味もなかなかもっていない。ピアノの特訓に励みたいところだが、休みで余裕をこくと一層しなくなる。
そこで畑だ。芝生の根が張り巡らされた庭を開墾、これは重労働だが、いろんな勉強にはなる。何より根気が身につく。我が子らを見てるととにかくそれが一番学ぶべきことのような気がする。自分に置き換えれば、根気だけで人生何とかやってきた気もするし。

しかして、芝生の掘り起こしは大人でも遥かにしんどく、子らにさせる余地がほとんど出ない。出せない。まあ、それ以前に次女rinrinはまるで関心を示さない。やはり2歳児に野菜の育ち方を理解させるのは少し早過ぎたかもしれない。一方、長女monmonは「私はスコップで穴を掘るのが好きだ」とか微妙な主張をしつつ、手伝いはしてくれた。『やさいさん(作:tupera tupera、出版社:学研)や『どうぶつむらのとびだす!やさいばたけ(仕掛け:さくらいひろし、絵:大和綾、作:いしいゆみこ、出版社:永岡書店)』の絵本を昔から楽しんでいたことが効果あったのかもしれない。
これで春の息吹を知り、種から命が芽生えることで何かを彼女が掴んで……と言いたかったのが、大人的にかなり楽をしてエンドウ豆もイチゴも苗を買ってしまった。大和芋は芋だし、ミョウガに至ってはもはや雑草の根と変わらん。子供に大切なことが何も伝えきれてない感もあるが、まあいい。

そんなこんなで畑仕事以外は、ろくに外にも出れない子供たちだが、長女はママペイなるものを始め出した。昔の肩たたき券が何とかペイよろしく格好良く生まれ変わっている。手伝いをしてペイを貰い、ペイを払ってテレビやお菓子を食べるらしい。先の畑仕事もペイ制にしてから随分とやる気が出たらしい。労働力の売買は学習の狙いどころが違うのだが、これもまた人生か。
それにしても、このシステムのためにママペイ用の貨幣を作らされた。キャッシュレスゆえのペイなのに、貨幣を刷るって一体どうよ。この矛盾感が何かどうしても抜けない。

お気楽次女は、そんな流れも知らん顔で過ごしている。まあ、年中春休みみたいなもんだからな。彼女ら長女の国語の暗唱をよく聞いているらしく、「花咲かじいさん」の語りを真似したりする。だが、彼女は中身はさっぱり知らない。それゆえ、自信満々で「はだかじいさんは〜」と語る。それは、変態だ。これだから年取ってから金をもつとろくなことに……とか、愛犬がいなくなって寂しさのあまりねえ……とか、近所の噂話がいろいろ聞こえてきそうで、私にはとても忍びない。

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