千年。おそらく簡単なタンパク質から始まったであろう何十億年の生物の進化に比べればあまりにも短い時間だ。しかし、わずか1年で急速に成長する子らを見ていると、千年は恐ろしく悠久にも思える。

久しぶりに私(父)は日本刀の展覧会に行った。千年前の古刀だ。我が子らは連れては行かなかった。妖しく輝く血塗られた刀に魅入られても困るし、刀剣女子になるにはまだまだ早い。もっと歴史の重みと作刀の技術を学んでもらってからでなければ。
が、彼女らとそう無関係なわけでもない。そこに飾られていた刀は『童子切安綱』。酒呑童子、鬼を切った刀であるし、討伐パーティーには金太郎のモデルだっている。まんま、絵本に出てきそうなものだ。ただ、血なまぐさいだけで。
一緒に行った友人は、赤鬼と青鬼は鉱物を表していると言う。確かに赤は鉄、青は銅を示しているらしい。なれば、鬼退治は中央官僚による、鉱物資源の利権に対する武力的簒奪の物語である。こうなれば善悪は一気に逆転する。まるで日本社会の縮図を見ているかのようだ。泣いた赤鬼の気持ちもわかろうと言うものだ。

私の心の中の名刀は今は幾つもあるけれど、かつては『しちしとう』だった。ゲームボーイ用ソフト「Sa・Ga2 秘宝伝説」の最終局面で出てくる武器で、使用回数はとんでもなく少ないが、メカにもたせると恐ろしく強力だった。ラスボスを倒すのに何の楽しみもなくなるくらい……。だが、そんなことを今書いたところで誰一人共感してくれはしない。もっとも、本物の『七支刀』は石上神宮の所蔵であるものの、まだ見たことはない。若干この刀には運命的なものを感じなくもないが。

そんな日本伝統的に始まった正月であったが、これまた恒例としては、百人一首のかるた取りもあった。長女monmonが大分かるた慣れしてきたので百人一首もやれるようになった。勿論、次女rinrinの邪魔は入るが……。しかし、高齢化と少子化の中、読み手が足りない。実家の百人一首はCDが付いてるほど新しくはない。
そうなれば頼るのはYouTubeである。アプリもあるけど。しかし、楽なようなかえって面倒なような。再生するものによっては2回読んでくれなかったり、聞こえにくかったり。また、誰かが取るまで待ってくれないから一々止めないといけない。Alexaだってまだここは似たようなもんだろう。もっと賢いAIがいるのだ。ランダムに読み、聞き取りやすく読み(騒がしいと読むのをちょっと中断)、そして誰かが札を取ったことを感知して次にいってくれるような。AIの無駄使いかもしれないが、それくらいできなくて何がAIだという気もする。
それにしても、百人一首は実に良くできている。取る札は絵がなく均質で覚えにくく、誰にも平等だ。一方、読む札は絵が入っていて、読み手が飽きにくい。だが、大人は上の句から下の句を推察できるし、歴史的仮名遣いも知っているが故に、やはり結局は幼い子らより断然有利なのである。まるで汚い大人社会の縮図を見ているかのようだ。

ついでに坊主めくりもやったが、長女はこれをめくり坊主と言う。三日坊主、海坊主。何とか坊主と呼ぶと途端に下賤な音感になる。まあ、素晴らしい歌を遺した蝉丸も、まさか後年になって「くそ、蝉丸やんけ!」と悪態つかれようとは夢にも思ってなかったろう。しるもしらぬも あふさかのせき。

これは100円ショップの五十人一首らしい。なんじゃそら。