隠れ家とはいい響きの言葉だ。大人の隠れ家、なんていうともっといい。もっとも、男だけが好きなのかと思ったら、我が家の長女monmonも次女rinrinも隠れ家に割とご執心。monmonは自転車にかけてある大きいテント地カバーの中を隠れ家と言うし、rinrinはこたつの中にひたすら隠れている。それは秘密基地かと言われると微妙に違う。『基地』は、やっぱり男の心を揺さぶるキーワード。
さて、隠れ家には(秘密基地だっていいけれど)合言葉が付き物だ。「山」に「川」だ。合言葉が通じた時の喜び、気持ちの繋がり合い。これって結構大事かもしれない。思うのは、その昔まだ私が小さい頃、祖父母の家(父母の仕事場でもあった)から帰る時、祖母が「さよなら三角またきて四角」とよく言ってくれた。というか、祖母の言葉はそれしか覚えていない(小学校の頃も祖母はばりばり元気だったのに、私はとにかくいろんなことを忘れてしまったのだ。だからこそ、今こういうふうに書いていたりするのだけれど)。
意味の分からん言葉である。勿論、今調べればその由来はすぐに分かる。でもそれはどうでもよくて、その言葉には実に軽快な響きがあった。それはさよならの代わりの言葉ではあったけれど、どこか合言葉のようでもあったと思う。

それはさておいても、我が家はこたつを新しく設置したこともあるけれど、大量の絵本がリビングに散乱し、さながら文学青年の隠れ家みたいに所狭しとなっている。2階からいろんな絵本を出して読むようになったらしい。絵本を死蔵しているよりは遥かに良くて、たくさん絵本を読んでくれて嬉しいが、ちらかりまくりだ。おまけに、「これ読んで」とタイミング無視で迫ってくる。「ねないこだれだ」「いただきます遊び」「ちか100かいだてのいえ」「どうぶつむらのとびだす!やさいばたけ」「アンパンマンのしかけえほん〈1〉できるといいねはみがき」「しぜんキンダーブック 2014年9月号/つき」……。
絵本は実にサイズが様々だ。大きさが不揃いだと平積みにしても美しく積まれない。まゆげがピクピクしそうだ。それならいっそのこと三角の本だってたくさんあってもいいのに。いや、それは本屋が置きにくいか……。まあ、サイズのランダムさは絵本の無限の可能性を示しているのだ、と自分に言い聞かせている。

三角と言えば、rinrinが生まれて四人家族になった。一人増えただけだけど、生活リズムは結構変わった気がする。パートナーのtantanは兄弟姉妹が欲しかったと言うけれど、恐らくその思い描くイメージともまた違う生活なのだと思う。三人家族は▽。お互いの頂点はきっちりしていて、がっしり。もしも、一つの頂点が大きくなったら(主張が強くなったなら)、まるでバトミントンのシャトルみたいになって飛んでいく。二つが大きくなったらアメリカンクラッカーだ。対して、四人家族は☒(□の中に×)の感じ。互いが互いと相関し合って複雑で、しかもぐにゅぐにゅ変形するような。四つの頂点がそれぞれ勝手に大きくなってタイヤになって、車になって荒れ野を駆けていくような。五人でもまだぐにゅぐにゅかな。でもこれがどんどん増えていくと、逆にお互いの関係性が固定されて、ガチガチになりそう。昔の大人数家族てなそんな気がする。

そんな三角。おれは直角。

無造作