美しい物を足せば、いかなる物も美しく変貌する。それはすこぶるシンプルで率直で美しい考え方だと思います。その思想を恐ろしく簡便に完全無欠に実現しようとする術こそ、シールというものではないか、と。
自分の記憶を辿ってみても、家中の至るところに好きなシールを貼っていました。その時の感情を正確には思い出せませんが、均質的で無表情で無味乾燥な平面が、お気に入りシールを貼ることで何と強い主張、アクセントを示すことだろうか、と、ワクワクしていたような気がします。
しかしながら、キラキラシールであろうとルーベンスの絵であろうと二宮金次郎像であろうと、日常的にそこに存在した途端に単なる風景と化してしまいます。何でだろうかと、貼ってしばらく経ってからの失われた高揚感に自分自身が戸惑いを覚えながらも、それらのシールは延々と貼られたままなのです。剥がしたら剥がしたで、身勝手な喪失感が半端ないし。

我が子らが貼る幾つものシールを見ていると、気持ちはわかる、だが私は剥がしたいというジレンマにいつも駆られる毎日です。まあ、親も親で飾りなどといいつつ何やら横文字やら模様やらを壁に貼り付けたりしているので変わりはしませんが。せいぜい大人のは貼って剥がせるくらいの差で。
下の子はまだシールが綺麗というより、スティッキー(貼り付く)という超自然的現象を楽しんでいるよう。楽しみすぎて、アンパンマンの頭が針山みたいになってしまいましたが……。

seal_anpan
頭が殺風景だったのだろうか?

それはそうと、新作『かおノート モンスター』が出ていたので買ったのですが、シール好きな奴らは何故かまだやってくれません。買った甲斐がないとはこのことです。かおノートをやっていると、人間は目と鼻と口と輪郭があれば何でも人に見えるのだな、と不思議に感じます。シールを貼るだけでいろんな表情が飛び出してきて本当に楽しいし、創造力が掻き立てられる、と思っているのは私だけなのでしょうか。

そんなことを言いつつ、何とかプレゼントキャンペーンの応募シールをせっせと集める日々があります。なかなか大人になってもシール貼りからは逃れられんもんです。

かおノートモンスターposted with ヨメレバtupera tupera コクヨ 2015年12月 AmazonKindle7nethontoe-hon