近頃の下の子rinrinの得意なものはつかまり立ち。尻を振ってまあノリノリです。かたや上の子monmonもノリノリで自作の歌を歌う日々。ただ素直に親の言うことを聞かないところが、私の後頭部付近の神経をいささかビキビキさせます。それにしても、我が子らを見ていて、愛しさと切なさと心強さがないまぜになるのは、きっと自分の成長があまりにあまりに小さいから。それが切ない。

そのrinrinは高速ハイハイを覚えてから、床に落ちているあらゆるものを食べることに余念がないです。米粒は元より、埃や包装の欠片に至るまで。どこかで見たことのある光景だなと思っていたら、そう、道端でハトがエサをついばんでいる姿にそっくりでした。もっとも、彼らは瞬時にエサを判断し、エサ以外だと一瞬近づこうとはするものの、すぐに踵を返します。我が子はまだまだハトにも及びやしません。ハトを彷彿とさせる行動故に、個人的にはほっこりしながら見ていたりもするのですが、口に入れるのはシャレにならないものばかりなので四六時中母親tantanには怒られております。

ところでmonmonが絵本を読んでいる姿を最近見ていません。んまあ、単身赴任で平日は不在だから当然ですけど……。聞くところによるとキンダーブックの古いやつをいろいろと読んでいるらしい。やっとそれを読んで楽しめるようになってきたということで、ちょうどいいみたいです。かと思うと、幼稚園から『かえるのレストラン』(作:松岡 節、絵:いもと ようこ、出版社:ひかりのくに)というのを借りてきまして、読み聞かせをしてもらっていまして。優しい絵でなかなか好感。それにしても、彼女の読もうとするものは、お店の話が多いような気がします。絵本のカテゴリーとして多いのかもしれないけれど、案外自営業向きなのかもしれません。

rinrinは少し言葉を覚え始めてきましたが、まだはっきりとした喋り方はしていません。父親である私は今しかないと思い、ここのところテレパシーで会話ができないかとこっそりやってみています。じっと見つめあいながら、割と真剣に。たまに不意打ちで眼鏡を取られますが。しかし仮にテレパシーで通じたとしても、私の頭の中では音声または文字で意思を紡いでいるわけで、それを彼女がそもそも理解できません。仕方がないので映像や画像を送り込んでいますが(そういう気概でやっていますが)、映像や画像で気持ちを伝えるのはなおのこと難しい。ましてや彼女からの気持ちをこちらが受信するのはやり方すらさっぱりわかりません。テレパシー道は奥が深いです。

テレパシーがあるのかないのか、結局私にはよくわかりませんが、とにかく感覚ってのはあると気づけばどんどん発達するものだと思っています。つかまり立ちしている姿を見ると、そんな気がしてならない。みんな立っているんだから、立てて当然という感覚。そういう点では使い方に気づいていない身体機能とか脳機能とかはきっとまだまだあるのでしょう。ろくに使いもしないのに、どうしてそんなものが最初から備わっているのかわかりませんが、何かの折に発動する秘密兵器が自分の中に格納されているという考えは悪くないです。だから、せめて自分も死ぬまでにその秘密兵器の一つや二つは格納庫から取り出してみたいです。まあ、秘密兵器というより便利な秘密道具でおますな。

telepathy-on-the-head
至近距離テレパシー。Bluetoothより短距離。話す方が楽。